【amazarashiに救われたあの夜】
2012年東海地方の某所にて、仕事明けの深夜ついにストレスで限界を迎えた僕は車のトランクにロープを入れ人生を終わらせる場所を探して、車を走らせていた。
僕は仕事で同僚からパワハラを受けて精神的におかしくなっていた。
毎日自殺することばかり考え、朝起きた瞬間から死にたかった、ご飯を食べても全て吐いてしまい、休みの日も常に仕事のことばかり考えてベッドから起き上がれずに泣いていた。
完全自殺マニュアルという本を購入し「死ぬなら首吊りがいいな」と思い、近所のホームセンターでロープを購入しネットで結び方を調べた。
その頃通勤中の車でamazarashiの曲を毎日聴いていた、自分の精神状態が歌詞とシンクロしていたのかもしれない「光、再考」「ムカデ」「つじつま合わせに生まれた僕等」 「少年少女」秋田ひろむという人はどれだけの絶望の中でのたうち回って生きているのだろうか?何度もこの人の歌詞に助けられた、本当に心がしんどい時に救われた。
【もういいや疲れた、○のう】
その日も同僚から罵倒され人格を否定された。
なにもかもいやになった僕は「もういいや、どうでもいい、終わらせよう」と思い突発的に車を走らせていた。
1時間ぐらい車を走らせているとロープを結べそうな人の来ない場所を見つけた、ロープをセッティングし後は首を吊るだけという所まできた。
でも正直怖かったよ。
僕は実行する前に心を落ち着かせる為にコンビニで買った好物のレモンティーをゆっくり味わって飲み、最後に好きな音楽を聴こうと思い、その場所に突っ立ってウォークマンでamazarashiの2011年に出た『千年幸福論』というアルバムを繰り返し2時間ぐらい聴いた。
僕はいつのまにかしゃがみ込んで嗚咽していた、秋田さんがまるで「君は死ななくてもいいんだ、生きていてもいいんだよ」と励ましてくれている様に感じた、剥き出しの鮮烈な歌詞の一言一言が心に刺さって来たんだ
「弱音を吐いたら楽になるか 泣くだけ泣いたら楽になるか 死にたいと言えば気持ちいいか そこから踏み出したくはないか」
空っぽの空に潰される amazarashi 作詞・作曲 秋田ひろむ
【あの夜はこの言葉に本当に本当に救われた】
「死ぬ以外に何か別の方法があるんじゃないか? 」「もう職場からもパワハラしてくる同僚からも逃げてもいいんじゃないか? 」「そういえば部屋の掃除もしてないし遺書も書いてないや」「てゆうか、なんで僕が死なないかんの?」「仕事辞めて実家に帰ろうかな・・」「やっぱり怖い、首吊りって苦しいのかな?」「もう好きな音楽も聴けなくなるしライブも行けなくなるんか・・」amazarashiを聴いていた2時間いろんなことが頭の中にグルグル浮かんでは消えて行った。
そのころの僕は毎日毎日、仕事のことばかり考えてしまって本当に視野が狭くなってたんだ、この職場が世界のすべてだって思っててさ・・・今にして思えば全然そんなこと無かったよ!!
amazarashiを聴いているうちに「なにか別の道を探してみよう、死ぬのは今じゃなくてもいいや」と思ってきて(なかば開き直ったんだろうな)ロープを外して、来た道を車で戻った、泣き過ぎてコンタクトレンズがズレてきてたよ、途中で朝までやっているロードサイドの豚骨ラーメン屋でラーメンと餃子を食べながら明日からどうするか真剣に考えた、死ぬ以外の方法を探そうとしてた。
【なんだかんだで休職することに】
次の日は睡眠不足で本当にキツかったが、仕事が始まる前に会社の上司と産業医に今の自分の状態を相談し、産業医に紹介状を書いてもらい心療内科にすぐに通院した、結果『重度の鬱病』『摂食障害』『社交不安障害』の診断がつき会社を6ヵ月休職した、ほぼ寝たきりで何もしない日々が続いた。
正直言って『うつ病』って言ったら会社の人から変な目で見られるんじゃないかとすごく怖かったけど、まあしょうがないよね、たぶん死ぬよりマシなんじゃないかな?
その後徐々に回復し会社に復職できた。会社が事情を汲んでくれてパワハラしてくる人とは別の部署に移れた、今でも本当に感謝しています。
それから数年後、僕は初めてamazarashiのライブに行った、バンドメンバーの前に設置された紗幕に「言葉」が投影される、その次々と映し出される言葉の中には3年前のあの真夜中に僕を救ってくれた「言葉」達があった。
秋田ひろむさんの口から紡ぎ出される、綺麗事一切なしのリアルな歌を初めてライブで聴いた僕はその場で立ったまま泣いていた。
泣き声を出さないように気をつけながらライブに集中している周りの人に僕のくだらない泣き声で迷惑をかけないように、ライブ後半は涙で紗幕がよく見えなかったな。
あれから8年経ったけれど未だにamazarashiを聴き続けている、僕にとってはどんな抗うつ剤よりも効果があるから。
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